デザイナーの雑記帳

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考え方を変えたら、相手が遅刻しなくなった話

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「元・時間にルーズなパートナー」と一緒に暮らしてます、ハルモです。

以前の私は、毎回約束の日の前日から鬼の時間逆算をするほど、時間を守ることを最大の正義としていました 笑。同棲を始めるもっと前に彼と出かける機会が多くなってから、彼の時間のルーズさにかなりイライラが募り、そのせいで喧嘩になったりもしました。

しかしどんなに注意しても直る気配は一向になく、あんまり悪いとも思ってないようでした(イラ)。

で、私は悟りました…。

相手を変えることなんて不可能なのだ…。だったら自分の考え方を変えるしかない!

こうは思ったものの…当時の私は、時間を守って優等生な行動をする自分の正しさを絶対と疑わず、私は悪くないのになぜ私が変わらないといけないのか…と悔しい気持ちもありました(ひー)。

でも、実際にやってみると衝撃的な展開になったのです…。

彼氏彼女さん、パートナーや友人の遅刻が気になってしまう方へ、少々とんち的ですが、私が変えた考え方について書いてみます。

結論:「待つ」という概念を捨てる

ん?

ですよね。私も自分で思いついたのに、ん?と思いました。

どうやって捨てるんですかって話です。

 

まず、最初に考えるべきはこれです。

相手が時間に遅れて、自分が「待たされる」という状態はどうやってつくられるのか。

考えてみると当たり前ですが、自分が相手を「待つ」からですね。では、待たされるのが嫌だったら、自分が待つのをやめればいいわけです。
別の言い方をすると、自分が待つことをやめることで、相手を「遅刻した人」にしない、ということです。

「待つこと」をやめる具体的な方法

自分がオンタイムに集合して相手が遅くなる場合。

  • 相手を待たずに「先に移動する」
  • 相手を待たずに「買い物をする」
  • 相手を待たずに「本屋で好きな本をチェックする」
  • 相手を待たずに「お茶をする」
    ※相手に伝えた上で

文字通り「待つ」のではなく、「自分のやりたいことをする」に行動を変えます。

これで相手と合流した時、相手は「遅刻した人」でなく、「ただ合流地点に来た人」になります。

文字で書くのは簡単だけど…と思うかもしれませんが、イライラしながら「相手に待たされる」受動的な行動ではなく、「自分が楽しいと思うことを自分でやる」という能動的な行動へと自ら選んで変えることで、相手のせいではなく、自分軸の行動ができ、感情の視点が変わります。

結局のところ、大事なのは自分の感情のコントロールです。「遅刻をされてイライラする」の「イライラ」がなんとかなれば良いはずなのです。

いたって真剣な話なので、もし時間に無頓着な相手の対応が余儀なくされた場合は、騙されたと思ってぜひやってみてほしいです…!

※これは間違っても、“相手を待ちながら”、“いつ相手から連絡がくるか気にしながら”、“そわそわしながら”、別の行動をするのではなく、「自分が楽しめる行動をする」のがポイントです。

ありがちだけどうまくいかない方法

別の解決策としてよく聞くのが、「自分も遅れる」です。

遅刻を許せない人は、自分が遅刻をすることをも許せない、という鏡の法則でもありますので、思い切って自分が遅刻してしまうのもありだと思ってます。

ところがこの解決策には、時間にシビアで真面目なタイプの人にとっては「どのくらい遅刻すればいいのか問題」があります。

適当に遅れて行ったら逆に相手を待たせてしまい罪悪感。または相手が予想以上に遅くてさらにイライラ感。という具合に、ネガティブな側面が増幅する場合もなきにしもあらず…!

そのため、「待つという概念を捨てる」が意外と即効性があって楽でした。

待たされるのがなぜ嫌なのか

なぜ待たされるのが不快なのかと言えば、私の場合は、相手になにか遭ったのではないかと疑心暗鬼になることもストレスでしたし、なによりも、約束を守ってくれないのは「相手に大切にされてないからだ」→突き詰めると「私は愛されていないかもしれない」という不安が沸き起こるからだったのです。
要は自分に自信がなかったのですね。

そこで「待つ」をやめる=「待たされる」を自らやめることで、必然的に「愛されていないかもしれない」不安は消えます。

それに、自分が好きなことをする時間に切り替えることで、自分で自分を満たすことになるのです。
人って別のことに没頭できれば、本当にネガティブなことは案外、簡単に忘れられます。

驚きの展開1

これを実践し始めて以来、私の心はとても楽になりました。相手が遅れても自分は自分なりの楽しいことをしているので、相手が連絡もなく1時間遅れようとも、菩薩ですかと思うほど寛容な心を持てるようになりました!

逆にその時間を使って自分好みのお店を発見したり、とてもいい本に出逢えたり、有意義に過ごせたことを「遅れてくれたおかげで」と感謝することもありました。時間通りに来ようとしてたら事故に遭ってたかもしれないからきっとよかったんだ、などと超ポジティブ思考に変わったのです。

そして…。そのうちなんと、自分もたまに遅刻するようになりました 笑。

先程お話したように、自分自身に遅刻を許せなかったがために相手にも強要していたにすぎません。さすがに悪意はなく遅刻してしまう時があるということを理解して許せるようになったのです。(そんなの誰しもあるのに今まで何を頑なにやっていたのでしょう。恥ずかし! )

ある時、彼との待ち合わせで遅刻したら、ちょっとイラッとされました 爆。鏡ですね。 

さらに極めつけの展開2

なんと、相手がオンタイムに来るようになりました 驚。

一緒に住むようになったため、そもそも待ち合わせもなくなってあまり問題視しなくなったのですが、外で落ち合うときはほぼパーフェクトに遅刻がなくなりました。

しかも、遅れるときは事前に連絡が来るようになりました。でも私は自分のやりたいことに没頭していてどうでもよくなっているし←、なんなら遅れてきてくれるおかげでさらに自分の時間が増えてラッキー!なんて喜んでいます←

ある時の会話で、彼の口から「時間には注意している」という発言まで出てきました。
そうだったんだ…知らなかったよ!

思考の転換で自分が変わる

結果的には、自分の中で相手を「遅刻する人」にしないことで→「遅刻しない人」にできました。

相手を変えるのは、自分の視点の上でのみしかできないのです。

ビジネスシーンというよりは、気のおけない信頼があるからこそちょっとルーズになりがちな関係などには有効かと。
ビジネスでは、時間にきっちりの人は時間に厳しい人と、時間にルーズな人は時間が気にならない人と一緒に仕事したほうが、お互い世界平和だと思っております 笑。

もし同じお悩みをお持ちの方は、ぜひお試しあれです。心が軽くなるはず…!