先日、中田敦彦のYoutube大学で2夜に渡って岡本太郎さんの著書「自分の中に毒を持て」をピックアップした授業を配信してました。
≫ 【岡本太郎①】今最も必要な勇気が湧く言葉たち「迷ったら危険な道に賭けろ」 - YouTube
「芸術は爆発だ!」でおなじみの芸術家 岡本太郎さん。私が9歳の時に亡くなったそうですが、実はテレビなどで拝見した記憶はなく、失礼ながら「教科書に載っているあの太陽の塔の作者」という認識程度でした。
でももう…この授業で彼の生き方に衝撃的に感銘を受けまして、その後も岡本太郎さんについていろいろ調べたりドキュメンタリーを見て、感動して泣いてしまいました…。あっちゃんありがとう。
とにかく幼少期から激動的に生きてきた“人間 岡本太郎”。私に足りなかった「自分の心を守ること」に気づかせてくれた話について書いてみます。
この本はきっとすごい…! 読みたい! ということで、東京では本屋は閉まってるしAmazonも時間がかかるので、実家の母に頼んで送ってもらうことにしました 笑
破天荒な幼少期だった理由
岡本さんは小学生の時から理不尽なことに対しては真っ向から反抗。教育に関係のない世間的なくだらないルール、体罰を許す校風。間違ってることには怒りを覚え、それを素直に表現する。反抗しては登校拒否になり小学生のうちに3回も転校したそうです。
例えば、「一から十を漢字で書けるか」という教師の質問に応えて板書したところ、「書き順が間違っているだろ!!!」と威圧的に罵倒されたことに怒りを感じたり。また、転校後の私塾で、塾長の娘を「お嬢様」とおだてなければいけないルールに対しての怒り、体罰を与える教師への怒りだったり。
「嫌いな先生の授業はずっと耳を指で塞いでいた」とも語っていたほど、いわゆる“問題児”だったそうです。
問題児扱いされてもなぜ、そうした反抗を続けたか。それは、自分の心を守るためだったんだと感じました。
自分の神聖な火を消さない。穢さない。
真っ向から戦う岡本太郎さんの生き方の理由について、あっちゃんが引用していた言葉が印象的でした。
子供の頃から私は自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かし難い感覚を持っていた。それは誰にも冒させることのできない、絶対的な存在感なのだ。
しかし、現実には、幼い私は非力であり、学校でも、近所隣りでも、理不尽で不当な力が常にそれをおびやかし、押しつぶそうとした。ゆずることの出来ないものだから、しがみついて、頑張る。それはみんなに理解されない孤独で絶望的な闘いだった。
子供の頃からこんなにも自分の意志に自信をもって生きていたことに、すごく衝撃を受けました…。でも、それ故に孤独であったと。
孤独が怖かった私はまったく真逆の生き方をしていました。
先ほどの学校生活の例って、結構よくあるシーンでしたよね。体罰は流石に減っていた時代でしたが、私も子供には理解できない謎の大人のルールで怒られたり、理不尽な対応に傷つくことだってありました。
小学生の時、給食の準備にもたついて開始時間が遅くなると異常にキレる先生がいたのを思い出します。「時間を守る」ということを怒りでしつけたかったんだと思いますが、先生がキレることで給食中の雰囲気は重く、誰も一言も話さず、そんなことでそんなにまで怒り狂う…?という大人に対する疑問符が浮かぶ異様な空気…。
でも私は「脅すように怒るのをやめてほしい」とは言えなかった。
中学生の時、自分の書いた作文が校内放送で先生に読まれた時、恋愛に関する表現を勝手に省いて読まれました。意図的だったように感じて、ものすごく悔しさと怒りが湧いたことを今でも覚えてます。
でも私は「なぜ人の創作物を勝手に変えてしまうんですか?」とは言えなかった。
常に「先生が“トップ”で生徒は従わなくてはいけないもの」「少数派は多数派に従うもの」という暗黙の了解みたいなものがあったり、「歯向かったらしかられる」「めんどくさいことになる」「評価が下がってしまう」と諦めて、どんなに自分が傷ついても、怒りがわいても、しかたなくその感情をなかったことにしていました。
そうすることで自分を無視してないがしろにし、自身を傷つけていたことにも気づかずに。私は随分と長い間、このクセが抜けずに生きていました。
怒りというのは、傷ついた悲しみというのは、自分の心のから生まれたもの。命と同じくらい大事なものだったのに。
自分の中にある神聖な場所を穢さない。岡本さんは、そのために湧いた感情をまさに爆発させ、殺さないできちんと表現して、自分の心を守るために闘っていたんだと思います。
「今」その瞬間に湧いた感情を、大事にする
岡本さんのインタビューや文章では、過去も未来も関係ない。「瞬間瞬間」なんだ! という言葉が繰り返されます。岡本さんの生き方って実は、今で言うとかなりスピリチュアル的なんですよね。
多くの人が過去の失敗をまるで今起きているかのように思い出して何度も傷つき、未来への心配事が今起きているかのように不安がります。本当はそんなの存在していないんですよね…。今この瞬間。自分が思うことしか、存在してません。
岡本さんの言葉を聞いていると、私は過去の自分に謝りたくなって、涙が出てきました。
「あの時無視してごめん」
「あの時の気持ちを無かったことにしてごめん」
「あの時ちゃんと一緒に怒ってあげられなくてごめん」
「味方になれなくてごめん」
別に岡本さんのように常に感情を爆発させて、むやみに他人と思い切り喧嘩することもないとは思うんですけども 笑、「絶対に自分の感情を無かったことにしない」ということが、私自身に必要だったことだったと改めて気づかされました。
悲しい気持ちを感じたくない、誰かへの怒りを感じたくない。だって不快だから!という理由で、私は自分の心から逃げていただけなのです。
どんなに不快な感情でも、感じること、受け取ること。
岡本さんはそれを自分との闘いと表現しています。
・・・そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。爆発するんだ!
ー「自分の中に毒を持て」岡本太郎著
自分と向き合うとはこういうことなんだと。不快から逃げずに受け止めることが「闘い」なんだという大事なことに気づかされました。自分との闘い打ち勝つ時に、自分への許しがはじまり調和に向かうということなのだと思います。
逃げ腰だった今までを克服できそうな、そんな勇気をもらえました。
また本を読んだら感想を書いてみたいと思います!
≫ あっちゃんの動画もぜひチェックしてみてください!
中田敦彦のYouTube大学