ここ1〜2年で良く聞くようになったHSP(Highly Sensitive Person)という単語。日本人の5人に1人が当てはまると言われる、いわゆる「繊細なタイプの性格の持ち主」を指します。
先日、中田あっちゃんのYoutube大学でも取り上げられてました。
Youtubeでも紹介されてる、このあたりのHSPに関する本が出たりして一気に広まりました。
各言う私もそっち寄りです。もちろん、本読みました 笑
こういう「繊細さんタイプ」のパートナーとの喧嘩って、詰まるところ、「自分は愛されてるのかな?」と不安になったり、言いたいことが言えず我慢しすぎることがきっかけな気がします。
ちょっと過去の話を急に思い出したので、今日は恥を偲んで、私の失態を書きます。
感謝されない=愛されてないの勘違い
私は夫さんと一緒に住み始めたある日、大喧嘩をしました。家出までしました 笑。
理由はシンプルで、その時の私は「自分の家事の労働量や、一緒に暮らすためのあれこれの工夫」を理解してもらえなかったことが辛かった。
感謝されない=愛されてないと感じてしまった。まぁありがちな話。
言い換えると、褒めてほしいと思ったのに、そう伝えられなかった自分が苦しかった。
これ。なんとも陳腐な理由だと、気づいた当初は自分が恥ずかしかったのです。自分が勝手にやってることなのに、それを見て「褒めろ」なんて、なんという押し付けだろうか… 笑。書いてて笑える。
恥ずかしさの極みだったのですが、それでもやっぱり私は褒めてほしかったと思った。ので、最終的にはそれを素直に伝え、そして気持ちは落ち着き、喧嘩は終息しました。
今日はそこから得た、HSPさんにありがちな「我慢の勘違い」と「褒め効果」について書きたいと思います。
我慢するという勘違いの美徳
「我慢したほうが愛される」
そんな典型的「良い子ちゃん」気質でずっと生きてきた私は、我慢して頑張ることを美徳とし、誰かに褒められるために頑張ったりしてたので、自分で自分を褒める方法すら身につけていませんでした。
そうすると、他人にしか評価を求める相手がいない。結果的に承認欲求が強い奴になっていました。
そういうものは、自己完結で自己満で終われることに越したことありません。
自分を褒めること・守ること=自己愛が上手な私の親友
話はちょっと変わりまして、私の唯一の親友がいるのですが、彼女は非常に自己愛が豊かです。いつも、自分にも相手にも愛に溢れている。そんな素敵な女性。
彼女は自分を守るすべを知っている。相手に嫌なことを言われたら、素直に涙を流して「悲しい」と表現するし、嫌なことは嫌だと伝えられるし、常に本音で話すことを基本としている。
正直、これが普通のはずだった…。私は先程の「我慢の美徳」に洗脳されすぎて、この普通をまったく知りませんでした…。
「自己愛が豊か」というのは、自分をしっかり守れているということで、迷惑なわがままだったり、無理強いをするような性格という意味とは違います。
彼女は自分を愛し、だからこそ他人をも愛せる素晴らしい人です。
自分を愛することが上手な人は、自分で自分を満たせることで他人からの愛を必要とせず、さらには他人を自分と同じように愛せることにつながる。
実は、その大喧嘩の時はなかなかに自分を追い詰めてしまったため、彼女に相談しました。
彼女からすれば「こんなに相手のためにすごく考えていろんな家事をしているのだから、怒って当然のこと!」だそう。
私からすれば、そんなふうに思ってもよかったのか…!と新しい発見だったのでした。
我慢の勘違い
人前で泣くことはずるいと感じてきました。嫌なことを言われてもされても耐え、事が丸くおさまれば良い。迷惑をかけたり嫌われたりするよりも自分の心を曲げればよいのだと思っていた私には、褒められたいと思ってもいいというのは、全く無い感覚でした。
今でも自分を優先させて本音を伝えるという方法がわからず、時々悩みます。
なるべく手のかからない頭のいい子でいようとしていたのだと思う。でも、そういう我慢や忍耐力など、所詮は自己満なのです。
私の中では"手のかからない子供"でいたつもりが、私は変わり者だったこともあって、逆に親にとっては一苦労だったと思う。
結局、我慢したところで相手のためになるかなんて100%分かるわけない。「我慢の勘違い」で終わることの方が多いのでしょう。「相手のために我慢している」なんて、傲慢中の傲慢なのです。
褒めない日本文化
また、コミュニケーション上のすれ違いも否めないと思いました。
日本人的な感覚な気もしますが、やはり他人に対しても自分に対しても、「労う」「褒める」という感覚は忘れがちのように感じます。
「やって当たり前であること」「間違わずに進めること」が前提になってしまってるが故に、指摘部分を探していく減点法を取るイメージがある。
褒める用の日本語のバラエティーも少ないのかも? 時と場合によっては「えらい」や「すごい」という言葉も、やや上から目線やバカにされてると感じることもある。ニュアンスが難しいときが多いです。
実は、私がデザインの道に進めたのも、アメリカ留学中にベタ褒めされたからでした。そんなに大したことないのにこれでいいのか…!と思いながら、そのうち調子に乗れるようになって自信をつけたようなものです。
この時、「褒められること」による、すさまじいポジティブなエネルギーがあったことを覚えてます。仮に日本でデザインの勉強をしても、デザイナーの選んではいなかったと思いますね…。
褒めてほしいと言ったっていい
特に繊細さんにとっては、「褒めてもらいたい」というのはなかなか難しい欲求なのかもしれません。
今回の喧嘩で、「褒めてほしい!」と自分の弱さをさらけ出せたのはある意味良かった。それは相手が信頼できる人だったからこそ見せられた姿であり、自分の本心にようやく気づけたからです。
実は、「褒めてほしい」という欲求は、本当は自分に対して「自分を褒めてあげてほしい」と言っているのと同じことだと思いました。
結局、誰かを褒めるという習慣がないことで、自分を褒めるという方法も知らなかっただけでした。
少しでも頑張ったら、少しでもよくできたら、すこしでも昨日より達成できたことがあったら、「すごい」「えらい」と自分に言ってあげていい。
「全然できてないよ」「たいしたことないよ」と声をかけるのではなく。褒めてほしい。
そういう自分の心からの願いだったのです。
自分で自分を褒める
ここまでいろいろ書いてきましたが、他人に頼むよりは、自分で自分を褒めちゃうほうが当然早いですよね 笑。
自分に対して、「自分を褒めてくれ!」って言ったっていい。そしたら相手にいろいろ求めることもなくなります。
自分の心の内だけで、自分をべた褒めにするのはいくらでもやったっていい。完全無料です。他人に「うわぁ〜ナルシストかよ」と指さされることもありません。
繊細さんは特に、他人の目や言葉がどうしても脳に刻み込まれてしまうので、それらをシャットアウトして、自分の声に集中できることが一番効果的だと、自分自身で実験済みです。
こうやって健やかな自己愛が築かれていくことが、自分の心の平穏につながるのだと思いました。
すごく個人的な対応ですが、LINEスタンプで敬愛するイラストレーター ナガノさんの自分ツッコミくまの「えらい」スタンプを多用しながら、褒めてます 笑
先日、なぜか2ヶ月間99円! という謎にオトクなキャンペーン価格が表示されていたKindle Unlimitedにお試しで登録してみまして、さっそくHSP系の本を見てます。
▼HSPが欲しい!と思う言葉がタイトルになってるのが良いですよね 笑
▼このタイトルとか、めちゃ吹きました 笑
以上、ハルモでした。